凍月 (グレッグ・ベア著)を読む

久々にグレッグ・ベアのSFを読んだ。グレッグ・ベアといえば「ブラッド・ミュージック」が有名だ。私はSFを読み始めた時期に「ブラッド・ミュージック」を読んで、こんなに面白いSF小説があるんだと感激した覚えがある。今回の「凍月」も期待して読んだ。

22世紀の月面では、結束集団という家系を単位としたコロニーが形成されていた。そのうちの一つサンドヴァル結束集団のウィリアム・ピアスは、一族が所有する<氷穴>(月面の地下に天然にできている洞窟)で絶対零度達成の実験を行っていた。そこへ、地球から冷凍保存された人間の頭部410個が、ウィリアム・ピアスの妻であるロザリンドにより持ち込まれた。その中には、サンドヴァル結束集団の始祖である曽祖父母の頭部も含まれている。脳スキャンと思考言語群を扱える新型解読機により冷凍保存された”脳”の記憶や思考の読出しに成功する可能性があった。その2つの実験が進行してる最中、タスク=フェルダーという結束集団から冷凍保存された頭部の読み取りを中止するよう横やりが入る。その結束集団は”神のことば”(ロゴロジー)という宗教の信者で構成されている。タスク=フェルダーからの横やりは激しくなってゆき、最終的に結束集団の代表があつまる議会でその賛否が審議されることとなる。そのような中、冷凍保存された頭部の記憶・思考の読出しに成功し、その一つが”神のことば”(ロゴロジー)の創始者のものだと判明する。そして、絶対零度達成の実験が新たなステージに突入し結果をだそうとしている瞬間に<氷穴>に謎の攻撃があった。それでも絶対零度達成になんとかたどりつくと、そこで驚くべき光景が展開される・・・・。

この小説はなかなか面白く、文庫本で250ページほどの中編ということもあり3時間ぐらいで読み終わった。なかなか面白かったのだが、SFとして中途半端な点も気になった。一つは、タスク=フェルダーという”神のことば”(ロゴロジー)信者との政治的な権力闘争が話の筋の中心になっており、SF小説の雰囲気が薄れて政治小説のようになっていること。しかし、作者のまえがきによればこれは確信犯的になされているようだ。作中の”神のことば”(ロゴロジー)は、アメリカでL・ロン・ハバードが創始したサイエントロジーという新興宗教をモデルとしている。また、作者は、アメリカSF&ファンタジイ作家協会(SFWA)の運営に関わった経験で、アメリカ人のあまりにも個人主義的で現実問題に無関心な政治感覚に疑問を感じていたようだ。つまりそのような個人主義的な政治感覚の社会に特定の目的をもった宗教団体が政治的影響力を強めたらどうなるか。そういう状況への懸念がこの小説を書く動機の一つであったらしい。

SFとして中途半端に感じたもう一つの点は、作者のまえがきにも触れられているが、この小説は量子コンピュータを扱った最初期のものなのだが、その仕組みというかからくりがいまいち説明不足で説得力が足りない気がする。これは私の量子論についての知識不足もあるかもしれないが、量子論理思考体が絶対零度達成の実験において重要な役割を担う(というか、その性質から言って決定的なといったほうがよいか。)のだが、もう少し丁寧な説明があったほうがよいと思う。量子論は日進月歩の分野なので丁寧な説明してしまうとぼろがでるというのもあるかもしれない。しかし、小説なのだから、うまくホラをふいてほしかったと思う。

気になった点ばかり書いてしまったが、訳は読みやすいし、小説のラストの冷凍保存された人間の頭部410個の内容の読出しと絶対零度達成が組み合わさった結果の描写は読みごたえがある。量子論をあつかったSFを読みたい人にはお勧めしておく。